大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所沼津支部 昭和63年(ワ)535号 判決

主文

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金三〇五一万〇四三三円及びこれに対する平成元年一月二〇日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを三分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

理由

第一  請求

一  被告は、原告らに対し、それぞれ金四三〇〇万九四七五円及び右各内金三九〇〇万九四七五円に対する昭和六二年一一月一日から、各内金四〇〇万円に対する。平成元年一月二〇日から支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え

二  仮執行宣言

第二  事案の概要

本件は、亡河野泰丈(以下「亡泰丈」という。)が、校内マラソン中、熱射病に罹患し、被告の経営する病院に緊急入院したが、熱射病が改善せず、脱水症及び低血糖を併発して死亡したとし、それは被告の的確な診察と治療の義務違反によるとして、亡泰丈の父母である原告らが、診療契約の相手方たる被告に対し、右契約の債務不履行に基づく損害賠償を請求した事案である。

一  争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実(以下、証拠によつて認められる事実のみ証拠を掲記する。)

1  当事者

1  亡泰丈は、昭和四六年四月二六日、父原告河野喜一(以下「原告喜一」という。)、母原告河野洋子の長男として生れ、同六二年一〇月三〇日当時、横浜市緑区鉄町所在の学校法人桐蔭学園高等学校(以下「学園」という。)理数科一年に在学していた(以下、単に「何日」と記載した場合は、昭和六二年一〇月のこととする。)。原告らは、亡泰丈の相続人である。

二  被告は、その肩書地において、甲野脳神経外科医院(以下「甲野医院」という。)を開設している医師である。甲野医院は、脳神経外科を診療科目とし、三〇日当時、CTスキャンの設備を有し、夜間の急患も受け入れる、ベット数二四床(但し、医療法での許可ベット数は一九床であり、ストレッチャーを利用した簡易ベットも利用していた。)の脳神経外科の専門病院であつて、救急指定医院であつた。

右当時の同医院の常勤医師は被告のみであり、被告は、同医院の建物の三階に居住して、昼間と夜間を担当していた。そして、非常勤(アルバイト)医師として、医師免許を取得して三年で、愛知医科大学脳神経外科の医局に勤務する訴外山田隆寿(以下「山田医師」という。)が、週一回、金曜の夜間の急患を主に担当し、翌土曜日に外来患者の治療に関し、被告の手伝いをしていた。看護婦は、右当時、一八名勤務し、当直は一、二名であつた。

三〇日夜の甲野医院の医療体制は、入院患者が、亡泰丈を除いて二四名で(そのうち四名が集中治療室の患者であつた。)あり、被告は午後七時三〇分頃に外出し、夜間を山田医師と準看護婦の池間三枝子看護婦(以下「池間看護婦」という。)で担当するというものであつた。

〔被告が甲野医院を開設する医師であるとの点を除いたその余の事実につき

《証拠略》

2 亡泰丈の疾患の発生と西島医院への搬入

亡泰丈は、三〇日、静岡県駿東郡富士スピードウエイで開催された、学園恒例の全校マラソン(以下「本件マラソン」という。)に参加した。

亡泰丈は、本件マラソンの種目中一五キロメートル走に出場し、三〇日午後一時三〇分頃スタートしたが、午後二時四五分頃、スタート地点から約一一・五キロメートル走つて、右マラソンコース上において意識不明のまま転倒しているところを発見された。

その後、直ちに富士スピードウエイの救急室に運ばれ、学園医師団により応急手当を受けた。しかし、意識が不安定なことから、救急指定医院である甲野医院に亡泰丈の受け入れの可否が連絡され、被告が受け入れを承諾したことから、救急車で三時四一分頃、同医院に救急搬入され、入院した。

3 亡泰丈の容態と甲野医院での治療内容についての概要

(一) 三〇日

(午後三時四一分頃から同六時頃まで)

(1) 亡泰丈が甲野医院に搬入後、同医院では、直ちに、頭部CTスキャン、頭部及び胸部の単純X線検査を施行した。

右各検査によれば、いずれも頭部内出血や頭蓋骨骨折等の異常所見は見られなかつた。

(2) 被告は、亡泰丈が甲野医院に搬入されたとき、他の患者の脳動脈瘤クリッピング手術の途中であつた。

亡泰丈に付き添つていた学園校医は、被告が一人で右の手術中であつたことから、被告の了解を得て、甲野医院の処置室において、同医院の看護婦の協力を得て、亡泰丈の転倒時に受傷した口唇部、口腔内等の創部の縫合止血処置等をして被告の診察を待つた。

しかし、右校医は、同日六時頃まで待機していたが、被告から経過説明を求められず、また、被告の手術終了まで待機してくれるようにとの要請もなかつたために、その頃帰つた。

〔被告のなしていた手術が脳動脈瘤クリッピング手術であつたこと、校医のなした処置は被告の了解と看護婦の協力を得て行なわれたこと、及び校医の右処置後の行動につき《証拠略》〕

(午後六時過ぎ頃から同六時三〇分頃まで)

亡泰丈は、病室に移され、体動激しく、ベットに両手、両足を縛り付けられた状態であつた。

(午後六時三〇分頃)

亡泰丈の意識障害の状態は、三--三--九度方式で一〇〇、即ち、刺激をしても覚醒しない状態を三桁で表現し、痛み、刺激に対し、払いのける動作をする程度の意識状態であつた。呼名反応はなく、四肢の自動はあつた。

血圧は触診で九八、脈拍は一一八であつた。体温は四〇度に上昇した。

(午後六時四五分頃から同七時頃まで)

(1) 被告は、亡泰丈の病室において数分診察し、亡泰丈に付き添う学園の教師に対し、「亡泰丈は見た目ほど重症ではない。」「命に別状はない。」旨の説明をした。

(2) 亡泰丈は、午後七時に解熱剤スルピリン二アンプル(以下、アンプルを「A」という。)を筋肉注射され、被告医院の看護婦の指示により、亡泰丈の看病人は、以降、氷嚢により両腋窩(脇下)や鼠径部の四か所の冷却を続けた。

〔(2)の事実につき、《証拠略》〕

(午後九時頃)

亡泰丈の体温は、三八・六度、血圧触診で一一六であつた。自力による体動が著明であるが、痛覚反応はなく、発語もなかつた。

(二) 三一日

(午前〇時頃)

亡泰丈の体温は、三八・三度であつた。軟便が多量になされた。

山田医師の指示で解熱剤スルピリン二Aが筋肉注射された。

(午前三時頃)

亡泰丈の体温は、三八度であつた。四肢に冷感があつた。

体動がなく、外観上は、入眠中と見られた。

(午前六時頃)

四肢において脈拍の触知ができない。しかし、頚動脈、股動脈においては脈拍の触知が可能であつた。

四肢の冷感は著明で、痛覚反応はなかつた。血圧測定は不能であつた。デキストロメーターにより血糖値を測定したが、測定不能の程度に低かつた(四〇以下)。そこで、池間看護婦は、五〇パーセントブドウ糖四Aを静脈注射し、同一Aを点滴投与した。

(午前六時三〇分頃)

山田医師が亡泰丈を診察し、カルニゲン(循環調節剤)一Aを指示し、池間看護婦が静脈注射した。その後、血圧触診で一〇四、脈拍は一〇二となつた。

(午前六時四〇分頃から同七時三〇分頃)

脈拍の触知ができなくなつた。午前六時四〇分頃、池間看護婦から被告へ電話連絡がなされ、被告の指示により、セミニート(急性循環不全改善剤)一Aが点滴投与されたが、血圧は七四から三一であつた。体温は、三八・三度であつた。その後脈拍は一四二と速くなつた。対光反射はあるが遅かつた。

そこで、被告の指示により、セミニート二Aが追加点滴投与された。

(午前八時頃)

山田医師が診察した。意識障害のレベルは一〇〇と二〇〇の中間(二〇〇は、痛みや刺激で少し手足を動かしたり顔をしかめたりする程度の意識状態をいう。)であつた。橈骨で血圧が触れなかつた。カルニゲンが投与されて、血圧が触れるようになつたが、上下し安定しなかつた。

血糖値は六八で低いため、五〇パーセントブドウ糖二Aを静脈注射し、同一Aを点滴投与した。

チアノーゼは認められなかつた。

〔意識レベルにつき、《証拠略》〕

(午前九時一五分頃)

ICU(集中治療室)において、モニターを装着し、中心静脈圧(CVP)の測定を開始した。両下肢にチアノーゼが認められ、血圧及び脈拍が触知できなかつた。

(午前九時三〇分頃)

デキストロメーターにより血糖値を測定したが、血糖値は八三で低かつた。そこで、五〇パーセントブドウ糖二Aを静脈注射し、メイロン(制酸中和剤)を静脈注射した。CVPは2センチメートル水柱であつた。

(午前一〇時頃)

人工呼吸器による間欠的腸圧力呼吸を実施した。努力呼吸で浅かつた。アルビミン(血液成分製剤)20ミリリットル二〇瓶及びメイロン20ミリリットル一〇Aを投与した。

(午前一〇時五〇分頃)

心停止となり、心臓マッサージを施行した。ボスミン(血管収縮、昇圧剤)を心臓内に注射した。

(午前一一時〇五分頃)

メイロン20ミリリットル一〇Aを静脈注射した。

(午前一一時二七分頃)

直接の死因を、急性心不全として、死亡が確認された。

4 被告は、亡泰丈の甲野医院入院時、亡泰丈の意識障害の原因を頭部打撲のみに起因した症状と考え、右入院時に頭部CTスキャン、頭部胸部単純X線検査のみを実施し、右各検査の結果を見て、頭部打撲のみに起因した脳震盪、失神、てんかんと診断した。

5 亡泰丈の主な死因については、富士スピードウエイにおける本件マラソン中約一一・五キロメートル走つた時点で、熱射病に罹患し、体温調整の失調状態から意識障害を起こして転倒し、甲野医院での治療後も、熱射病による体温、電解質・水分等の失調状態の改善がなされず、脱水症、低血糖を併発し、急性末梢循環器不全によるショック状態となり、呼吸不全や肝・腎臓等の多臓器不全となつて死亡したものと考えられる(但し、原告らは脱水症の原因としてマンニトール投与を主張する。)。

〔亡泰丈が熱射病に罹患していたこと、及び熱射病を原因として低血糖に陥つたことを除くその余の事実につき、《証拠略》〕

6 被告は、亡泰丈の入院時、血液、尿、髄液、心電図、脳波等の各検査をしなかつた。

また、亡泰丈の入院後、同人の膀胱内に留置用カテーテルを挿入したが、総尿量、時間尿の記載や、脱水状態の観察・記録(チェック)はしなかつた。

7 低血糖の患者に対してなすべき治療は、五〇パーセントブドウ糖を静脈注射(点滴)することである。

また、熱射病の患者に対してなすべき治療は、慎重なバイタルサインの観察、特に体温の厳格な測定(直腸体温の測定)のもとでの低体温療法を施し、かつ、脱水、電解質アンバランスの補正に努めることである。

重症患者に対し、医師が看護婦に、常に患者のバイタルサイン、意識障害の進行程度の経時的変化に注意し、看護記録に記載するように指示することはもとより、看護婦も、患者に体温、脈拍、血圧、呼吸等の異常が現われた場合には直ちに医師に連絡し、その指示を受けるようにすべきことは、医療従事者として当然のことである。

8 被告は、亡泰丈に対し、二〇パーセントマンニトールの250シーシー×二を投与した。

9 三〇日午前一〇時及び午後三時の富士スピードウエイにおける気象状態

(三〇日午前一〇時) 気温一八・二度

湿度 六七パーセント

風力 ゼロ 曇

(三〇日午後三時) 気温一八・〇度

湿度 八五パーセント

風力 ゼロ 曇

二  争点

1  診察・検査において被告に債務不履行があるか。

(原告らの主張)

(一) 被告は、以下の時点で、なすべき診察、検査を怠つている。

(1) 亡泰丈は、甲野医院に救急患者として搬入され、入院した時、意識状態は不穏であつた。

このような場合、入院させた被告としては、意識障害が、生命の危険に直結する重要な所見であるから、迅速にその原因を究明すべきであり、初診時の鑑別のために、血液、尿検査をしなければならなかつた。

また、被告は、亡泰丈が、マラソン中転倒していることの情報を得ていたのであるから、低血糖、発汗、脱水等を当然予測し、代謝性異常も疑い、血液生化学的検査、血液一般検査、血液ガス検査を当然すべきであつた。右各検査をしていれば、その疑いをチェックすることができたはずである。

そして、血液、尿検査は甲野医院内でも検査が可能であり、亡泰丈が甲野医院へ入院した時点(三〇日午後四時前頃)においては、沼津医師会病院での血液、血液ガス検査も可能であつた。

また、亡泰丈には学園の校医と教師が付き添つてきたのであるから、亡泰丈の意識障害の原因を究明するために、亡泰丈の転倒に至る状況(本件マラソン時の温度や湿度、亡泰丈が約一一・五キロメートル走つた後に転倒したこと、当日の亡泰丈の体調等)、発見状況、発見後の亡泰丈の全身状態、治療内容等について、右校医や教師に尋ねるべきであり、尋ねれば容易に有益な情報を得ることができたのである。

しかしながら、右各検査や右校医や教師から情報を得ることを怠つたため、亡泰丈の全身状態、意識障害の原因を把握できず、熱射病や脱水、低血糖という内科的疾患を疑診できなかつた。

(2) また、被告は、三〇日夜、外出前に、診療録や入院時看護記録、看護記録により、マラソン中前方に転倒し、頭を打ち、救急車中及び外来処置室での縫合手術中いずれも体動が激しかつたこと、また、CT室で失禁したこと、高熱(三〇日午後六時三〇分で四〇度)を発したこと、意識状態も呼名反応がない(同日午後六時三〇分の意識レベルは、三--三--九度方式で一〇〇である。)こと、亡泰丈が病室で縛り付けられていたことなどを知り、また、亡泰丈の顔面等の右縫合手術の内容から、亡泰丈が前方に激しく倒れたことを知つた筈であるのに、十分診察や検査をしないまま、安易に、マラソン中の転倒によつて単純な脳震盪を起こしていると診断し、亡泰丈の意識障害の原因を、熱射病や低血糖などの内科的疾患を含めて多角的に検討しなかつた。

(3) 三一日午前六時に、亡泰丈が極度の低血糖に陥つていることが、池間看護婦により確認され、かつ、亡泰丈は意識障害があり循環不全も起こしているのにもかかわらず、被告は、同日午前七時三〇分まで、血液ガス、心電図及び尿検査等を全くなさず、不注意にも、単純な脳震盪という診断を維持し続け、右各検査を怠つた。

そのため、被告は、亡泰丈の危険な状態を把握できず、適切な救命措置を講ずることができなかつた。

(二) 亡泰丈の意識状態の異常性について、被告は、鎮痛剤ホリゾンの使用による影響と考えたと主張するが、ホリゾンは、手術時の痛みを鎮静する目的の麻酔薬で、本来、即効性があり短時間で麻酔の影響は回復するものであるし、亡泰丈が、前記縫合手術後、処置室から部屋に戻つても暴れたということは、ベットに縛られていることを見れば分かることであるし、麻酔の影響で覚醒が遅れているとすれば、麻酔の副作用という異常を考えるべきであり、被告の主張は、亡泰丈の異常に気が付かなかつたことを正当とする理由とはならない。

(被告の主張)

(一) 以下の理由から、被告には、亡泰丈に対する診察、検査において怠つた点はない。

(1) 三〇日午後三時四一分、亡泰丈は、学園の校医らに付き添われて被告医院に到着した。その際、右校医は、被告医院の看護婦に対し、「三〇日午後三時、マラソン中に転倒して頭を打つた。搬送中、激しい体動があり、ホリゾン一Aを使用した。」と説明をした。

右の「マラソン中に転倒し頭を打つた。」との趣旨は、「亡泰丈は、転倒するまで他の生徒と共にマラソンを続け、転倒することによつて意識を失つた。」ということであり、「意識不明のまま転倒しているのが発見された。」ということではない。そして、その後激しい体動があつたとの報告であつたから、意識障害の原因としては、てんかん若しくは脳への打撃を考え、先ずこれに対する検査、治療を行なうべきであり、被告は、CTスキャン、単純X線写真により検査し、出血その他の異常所見を否定し、脳震盪を疑い、これに対処する適切な措置をした。

(2) 熱射病の初期症状としては、先ず過高熱であるが、亡泰丈の体温は、富士スピードウエイの救護室に運ばれた時点、救急車の中、甲野医院の処置室での縫合手術中、三〇日午後六時頃、学園の校医が甲野医院を去る時点のいずれにおいても、関係者は過高熱を認めておらず、その後、同日午後六時三〇分に体温が四〇度であると認められたが、解熱剤の投与と頭部、腋窩、鼠蹊部を氷嚢で冷却する低体温療法により、その後三八度台に推移している。

熱射病の症状としては、通常、体温四〇度或は四一度以上の発熱、四肢の熱感、意識障害、瞳孔縮小、嘔吐、頻脈、浅呼吸、血圧降下等が上げられる。亡泰丈の症状は、三〇日午後六時三〇分に体温四〇度の発熱があつたが、解熱剤スルピリンの投与により三八度台に下がり、意識障害が継続し、頻脈は見られたものの、四肢の熱感、瞳孔縮小、嘔吐、頻脈、浅呼吸、血圧降下はみられなかつた。

そして、三〇日は、高温多湿との気象条件ではなかつた。

以上からすると、三一日早暁までに、亡泰丈の疾患が熱射病であると疑診することは極めて困難であつた。

(二) ところで、熱射病の症状として上げられる右諸点は、意識障害をもたらす他の疾患の徴候でもあるから、熱射病を疑診する端緒として、発症の際の状況を詳しく知る必要がある。

亡泰丈に応急処置を施し、甲野医院まで亡泰丈に付き添つた学園の校医は、被告(または甲野医院の看護婦)に対し、詳細な経過説明をせず、また、内科的な救急措置を施した結果、意識障害の原因が脳内の病変にあると診断し、甲野医院にいわば転医させたのである。

そこで、被告は、右意識障害の原因が脳内の病変にあるとの診断を信頼して、脳神経外科医の立場から、診察、検査、経過観察を行ない、通常なすべき診療行為をなしたのであるから、診察、検査を怠つたとの非難は当たらない。

(三) また、右の被告に与えられた情報及び救急車内と甲野医院での学園の校医による縫合手術の際、計四Aのホリゾンが使用されたことからすると、被告が、亡泰丈の意識障害の原因を鑑別することは極めて困難であつた。

よつて、亡泰丈の意識状態の不穏を前提とした、被告の診察、検査の懈怠に対する非難も当たらない。

2  適切な治療行為の不履行、或は、亡泰丈の死亡の与因となつた不適切な行為

(原告らの主張)

(一) マンニトールの不適切な投与

(1) 被告は、強制利尿剤で脱水症状をおこす副作用のあるマンニトールを脱水状態にある(本件マラソンにより当然に発汗し、かつ、激しい水様便もあつた。)亡泰丈に対し、漫然と大量に投与し、亡泰丈が、三一日午前〇時頃から無尿に近い状態であつたにもかかわらず、二度目のマンニトールを投与し、やつと、同日午前九時に至り中止した。

しかも、亡泰丈には、CT所見上、頭蓋内病変は発見できなかつたのであるから、尚更、マンニトール投与後、脱水の副作用に注意しつつ、より慎重に尿量・血圧等のバイタルサインを観察すべきであつたのに、亡泰丈の意識障害の原因を究明するための諸検査もせず、マンニトール投与後の経過観察も全く不十分であつた。

(2) 亡泰丈は、三一日午前七時三〇分の血液生化学検査で腎不全の症状を示し、同日午前九時三〇分頃、亡泰丈の中心静脈圧(正常値5~10センチメートル水柱)は2センチメートル水柱の低値であり、明らかに循環血液量の不足を意味していた。これは、マンニトールの投与が脱水を促進し、亡泰丈の臓器に重大な負担を与え、亡泰丈の末梢を循環している血液量を極度に不足させたことの証左である。

(3) よつて、亡泰丈のショックは、低容量性ショック、即ち、医原性脱水による末梢循環不全であり、マンニトールの不適切な投与が亡泰丈の死因ともなつたのである。

(二) その他の薬剤の不適切な投与

(1) 抗生物質セフメタゾンは、肝腎機能に影響し、ショック(末梢循環不全を意味し、血圧低下、意識喪失、更には、死に至ることをいう。)を起こすおそれがある。そこで、通常は、一日一~二グラムを二回に分けて投与し、重症感染者でも一日四グラムの投与が限度とされている。

にもかかわらず、被告は、亡泰丈の顔面部に外傷があるからといつて、亡泰丈に対し、セフメタゾン静脈注射二グラム×四(八グラム)を短時間に投与した。

(2) スルピリン(二五パーセントメチロン二A静脈注射、筋肉注射)は、他の解熱剤では効果のない場合に使用する緊急解熱剤であるが、とりわけショック等の重篤な副作用の発現することがあると警告され、その使用には最大の注意が必要とされている。そして、静脈注射は認められていない。

亡泰丈のような意識喪失の患者に対しては、禁忌の薬品である。しかるに、被告は、亡泰丈に対し、三〇日午後七時に二A筋肉注射、三一日午前〇時に二A静脈注射し、集中治療室で二Aを静脈注射している。

亡泰丈の体温は、深夜以降、下降気味であり、スルピリン使用の必要性も疑問であつたし、また、バイタルサインの観察が不十分であつたから、スルピリンの使用が亡泰丈の死を早めたと考えられる。

(三) 治療行為の懈怠

(1) 看護の不適切

池間看護婦は、三〇日午後九時頃において、亡泰丈の体動が激しく、痛覚反応もなく、意識障害が持続していたのであるから、亡泰丈の病状の推移を厳重に監視し、バイタルサインを慎重に観察し、かつ、記録すべきであつた。

しかしながら、池間看護婦は、三一日午前〇時から亡泰丈の病状が急変した同日午前六時まで、午前〇時と同三時の体温を記録したに過ぎず血圧を三〇日午後九時以降三一日午前六時まで計測していないというように、その看護は、最も基礎的な全身状態の観察すら極めて不完全であるというものであつた。

そのため、池間看護婦も被告も、亡泰丈の全身状態を把握できず、亡泰丈に対する適切な治療をなしえなかつた。

(2) 低血糖への対処

池間看護婦は、三一日午前六時に、亡泰丈が極度の低血糖に陥つていることを発見し、ブドウ糖の点滴を開始したが、低血糖の場合は、覚醒しても再び低血糖性昏睡となることがあるから、症状を検査確認し、その変化を逐次、観察しながら適切に点滴することが必要であつた。

にもかかわらず、被告は、一人で夜勤に当たつている池間看護婦に委ねたまま、右の適切な治療行為をしなかつた。

(3) ショック状態に対する対処

被告は、三一日午前六時四〇分頃、亡泰丈の血圧のコントロールが困難となり、脈も微弱かつ頻脈で呼吸も切迫するなど、そのショック状態が明らかになつても、池間看護婦に対し、電話でセミニート(急性循環不全改善剤)の投与を指示するのみで、同日午前九時一五分頃、集中治療室で原告喜一に指摘されてモニター等の監視、救命器具等の装置を装着するまで、自ら、亡泰丈の右状態を診察し、適切な治療行為をすることも高次の専門病院へ転送することもしなかつた。

(被告の主張)

(一) マンニトールの投与について

マンニトールは、頭部外傷の患者には最も一般的に投与されるものであり、被告には三一日早暁まで、熱射病その他の代謝障害を疑診することは困難であつた。CT検査の結果が良好で嘔吐がなかつたというだけでは、脳内に外傷に起因する異常がないと確認することはできないから、マンニトールの投与に落ち度はない。

(二) その他の薬剤の投与について

(1) セフメタゾンについて

亡泰丈に対するセフメタゾンの投与は、三〇日入院時一A(二グラム)、午後九時一A、三一日午前三時一A、午前九時一Aである。

能書によれば、症状に応じて一日四グラムまで使用するとされているが、発熱や脳の外傷の場合には右量を越えて使用することも稀ではない。肝腎機能に対する影響は稀に起こるもので、このような副作用を考慮しても発熱や脳の外傷の場合は、抗生物質の使用を必要とする。そして、能書にいう一日とは通常午前九時から翌日の午前九時迄をいうのである。

(2) スルピリンについて

亡泰丈に対するスルピリンの投与は、三〇日午後七時の二A、三一日午前〇時の二Aの二回で、いずれも筋肉注射である。

三〇日午後七時、三一日午前〇時の亡泰丈の体温から、感染症による発熱を考えてスルピリンを投与するのは一般的な処置である。

(三) 低血糖について

亡泰丈に、低血糖の症状が現われた三一日午前六時の時点で、被告は、五〇パーセントブドウ糖四Aを静脈注射し、その後も輸液にブドウ糖を投与し、低血糖に対する診療義務は尽くしている。

3  因果関係

(原告らの主張)

亡泰丈は、甲野医院に搬入時(三〇日午後三時四一分頃)、熱射病が不可逆的段階まで悪化していなかつた。右搬入時、亡泰丈の「血圧は一〇〇~一一〇」で「循環動態は安定」していたし、同日午後六時四五分において、呼吸、血圧、脈拍は正常範囲であつた。そして、三〇日午後六時三〇分頃に体温が四〇度に上昇するまで、体温はそれほど高くなかつたから、過高熱による多臓器の障害はまだ進んでいなかつた。

また、三一日午前七時三〇分頃(入院後一二時間経過後)の採血による血液検査においても、熱射病の予後を示すGOT値は九〇一であり、肝臓も致命的状況ではなかつた。この時点で、適切な熱射病、低血糖の治療を受ければ、亡泰丈は救命できたのである。

しかるに、甲野医院に搬入後の診察、検査、治療が不適切、不十分であつたため、熱射病が改善せず、低血糖症を併発し、脱水症も伴つて末梢循環不全のショック状態となつて死亡したのである。

(被告の主張)

熱射病患者に対しては、早期に適切な診断があつても、平均三割が死亡するほど予後が悪く、予後は発病後いかに早く体温を下げるかにかかつているから、先ず、「直ちに」冷やす(体温冷却)という低体温療法が不可欠である。次いで、気道確保、酸素投与、輸液が必要とされる。

被告は、三一日午前一〇時まで、熱射病と診断しなかつたが、結果的には亡泰丈が甲野医院に来院後、亡泰丈に対し、電解質液(電解質マレントール及び代謝性剤ATP)による輸液、解熱剤スルピリンの投与、氷嚢による頭部、両腋窩、鼠径部の冷却という措置を施し、熱射病に対する治療義務を尽くしている。

しかし、亡泰丈に対しては、熱射病に罹患後「直ちに」冷やすという治療行為が行われなかつた。そのため、亡泰丈は、甲野医院に来院時、既に不可逆的段階まで病状が悪化しており、救命するに至らなかつたのである。なお、亡泰丈が甲野医院に搬入されて、三〇日午後六時頃まで検温はされなかつたが、熱射病は、その初期に過高熱を呈するから、搬入される前から高熱だつたはずである。

よつて、被告の診断、治療行為に過失があつたとしても、右過失と亡泰丈の死亡との間には因果関係がない。

4  過失相殺

(被告の主張)

亡泰丈は、一〇月三〇日、体調を崩しており、当日の弁当も三割程度しか食べなかつた。学園では、体調に留意し体調のすぐれない者は申し出るようにと指導していたのに、亡泰丈は、体調の不調を秘して本件マラソンに参加した。右の亡泰丈の健康管理の不適切さが、熱射病の発病、予後に悪影響を与えた。

よつて、亡泰丈の右健康管理上の過失をもつて過失相殺すべきである。

(原告らの主張)

亡泰丈が弁当を三割程度しか食べなかつたことが、亡泰丈の体調の不調を示すものではないし、亡泰丈の死の結果に影響を与えたものでもない。

亡泰丈が本件マラソンで約一一・五キロメートル走破していることは、心肺機能に異常がなかつたことを示している。また、亡泰丈の心電図上の所見にも何ら異常は認められず、循環呼吸状態も安定していた。

よつて、被告の過失相殺の主張は、何ら理由がない。

5  損害

(一) 亡泰丈の逸失利益〔請求額金七〇五一万八九五一円〕

(原告らの主張)

亡泰丈は、医師である父原告喜一にならい、子供の頃から医者になる希望を持ち、全国有数の進学校である学園の理数科に進学し、夢に向かつて着実に歩んでいた。そして、亡泰丈の恵まれた家庭環境や本人の資質等からすると、将来医者となる蓋然性は極めて高かつた。

よつて、亡泰丈の逸失利益は、医師の全年齢男子の平均年収を基礎に、遅くとも三〇歳までには医師の職業に就くものとして、六七歳までの三七年間として計算すべきである。

(被告の主張)

高校一年生であつた亡泰丈の逸失利益を算定するのに、医師の年収を基礎とするのは不当である。

(二) 葬式費用〔請求額金一五〇万円(原告らにつき各金七五万円)〕

(三) 慰謝料〔請求額金二〇〇〇万円(原告らにつき各金一〇〇〇万円)〕

(四) 弁護士費用〔請求額金八〇〇万円(原告らにつき各金四〇〇万円)〕

第三  争点に対する判断

一  証拠によれば、以下の事実が認められる。

1  本件マラソンは、富士スピードウェイの自動車レースコースで行なわれた校内マラソンであつた。天気は良く、気温は普通(一八度程度)であつたが、マラソンには若干高めであつた。学園では、生徒に対し、食事を二時間前に取るように指示していた。生徒は、汗びつしよりになりながら懸命に走つていた。Tシャツ、ランニングにトレーパンという格好であつた。

亡泰丈は、転倒後、間もなく発見されたものであつた。発見された時、顔面打撲、口唇、前歯、舌、前胸部、両膝部挫傷等の傷害を負い、両手で防御することなく、前にバッタリ倒れたような傷害状況であつた。

亡泰丈は、富士スピードウェイの救護室にいる時は、赤ぽつい顔で上気していた。学園の校医は、亡泰丈の脱水を疑い、同人に対し、富士スピードウェイの救護室から甲野医院に搬入するまでの間、及び同医院搬入後も、輸液(リンゲル500ミリリットル)を点滴注入し、酸素吸入をした。亡泰丈は、救急車の中でも汗ばんでいた。呼吸は乱れていなかつたが、体動が著しく、うわごとをいつて、呼名に応じなかつた。

また、亡泰丈は、三〇日午後六時頃、甲野医院のCT室で体温が三九度近くに上昇したため、解熱のため座薬が投与された。しかし、同日午後六時三〇分頃の体温は四〇度であつた。なお、CT室で失禁した。

亡泰丈は、学園校医による縫合手術後、病室に戻り、体動激しく、頻繁に暴れるため両手足を縛られベットに固定された。三〇日午後七時頃の顔は赤つぽかつた。三〇日午後七時過ぎ頃に、下痢が始まり、同日午後一一、二時頃まで頻繁に、多量の下痢(水様便)をし、オムツを何度(甲野医院からのオムツを数回。そのほか原告らが用意したオムツを数回)も取り替えた。そして、三一日午前三時に亡泰丈のバルーンバックの尿を捨てたが、その時の尿量は1700シーシーであつた。亡泰丈は、その後午前四時頃から殆ど排尿しなくなつた。

亡泰丈は、三〇日午後一二時頃まで体動激しく暴れていたが、三一日午前一時頃から体動がなくなり、三一日午前三時頃、原告らは、亡泰丈を頻繁に揺り動かしたり、手足に刺激を与えたが、反応がなかつた。ただし、その頃、亡泰丈の末梢動脈での脈は触知でき、著しい血圧低下はなかつた。呼吸の乱れも特に認め難かつた。

池間看護婦は、三〇日午後九時以降、点滴とかオムツの交換のほか、亡泰丈の容態を観察するために病室に来ることがなくなり、三一日午前〇時に亡泰丈の容態を観察したが、その後、原告らから亡泰丈の容態が悪化したから心配であるとして呼ばれて、同日午前三時及び午前六時に観察した以外、亡泰丈の容態を観察することはなかつた。

しかして、池間看護婦の右容態観察は、右各時間において(ただし、三一日午前六時を除く。)体温を測定したものの、血圧の計測については三〇日午後九時に行なつたのみで、以降は三一日午前六時に至るまで全く計測されなかつたなど、極めて不十分なものであつた。

甲野医院では、三一日午前六時に著しい低血糖を発見するまで、亡泰丈に対し、ブドウ糖の注射(点滴)など糖分の投与をしなかつたが、入院時から酸素吸入を続けていた。

池間看護婦は、三一日午前六時に、亡泰丈の著しい低血糖とショック状態を発見したが、被告には同日午前六時四〇分頃まで、右症状を連絡せず、当日宿直であつた山田医師にも、同日午前六時二五分頃まで、右症状を連絡しなかつた。

また、被告は、三一日午前九時頃、集中治療室に移された亡泰丈を診察・治療するまで、同日午前六時以降亡泰丈の診察・治療を直接行なうことはなかつた。

2  血液検査(生化学検査)、尿検査及び中心静脈圧(CVP)の測定をすることは、甲野医院で可能であつた。また、亡泰丈が、同医院に入院した時点(三〇日午後三時四一分頃)において、被告が検査を依頼している沼津医師会病院に血液ガス検査等を依頼することも可能であつたし、その場合、救急患者のための検査依頼であるから、同日中に検査結果の回答を得られた可能性は高かつた。

被告は、三一日午前八時頃、甲野医院で生化学検査をさせ、沼津医師会病院に対し、脳脊髄検査、血液ガス検査、血液凝固検査、臨床化学検査、蛋白検査を大至急で依頼し、同日午前一〇時頃、それらの結果を見た。

甲野医院での生化学検査の結果は、尿素窒素が38.3ミリグラム/デシリットル(正常値8~20ミリグラム/デシリットル)、クレアチニンが5.5ミリグラム/デシリットル(正常値0.9~1.7ミリグラム/デシリットル)、尿酸が18.0ミリグラム/デシリットル(正常値3.4~7.8ミリグラム/デシリットル)であり、腎機能の低下が顕著で、また、細胞の新陳代謝のバランスが崩れ、高尿酸血症となつて腎障害をおこしていた。

沼津医師会病院に依頼した脳脊髄検査の結果は、血糖値は78ミリグラム/デシリットル(正常値70~110ミリグラム/デシリットル)では正常値を示した。また、血液ガス検査の結果では、ペーハーは7.079(正常値7.40±0.04)で低く、アシドーシス(ペーハーが7.35より低い場合をいう。)の状態であり、BE(過剰塩基)は-16.9mmol/リットル(正常値0±2mmol/リットル)であり、HCO3が13.9mmol/リットル(正常値25±4mmol/リットル)と低下が著しく、代謝性アシドーシスの状態(ショック、腎不全などで表われる。)であつた。また、PO2(動脈血)が32.0ミリメートル水銀柱(正常値9±17ミリメートル水銀柱)で著しく低く、O2SAT(酸素飽和度)が41.7パーセント(正常値94±2パーセント)であり、血中酸素含量が著減し、低酸素血症の状態で、呼吸機能の障害が著しく機械的人工呼吸を必要とし、肺の障害を示す数値であつた。

臨床化学検査の結果では、総蛋白は正常であるが、GOT(グルタミン酸オキザロ酢酸トランスアミナーゼ)901mU/ミリリットル(正常値40mU/ミリリットル以下)、GPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)821mU/ミリリットル(正常値35mU/ミリリットル以下)ALP(アリカリリン酸酵素)656mU/ミリリットル(正常値80~270mU/ミリリットル)、LDH(乳酸脱水酵素)2914mU/ミリリットル(正常値150~450mU/ミリリットル)で、著しい肝障害、胆道障害を示す数値であつた。

3  救急患者、特に意識障害の救急患者やショック状態の患者に対する診察、検査について、医学書、医学雑誌によれば、次の説明がなされている。

(一) 救急診察について

救急診察は、先ず、顔貌や意識状態、皮膚(蒼白、冷汗、チアノーゼ等)体温(極めて高い発熱は注意信号であり、四〇度以上は危険であるが、体温は必ずしも重症度判断とは直結しない。)、循環状態(脈拍、血圧。循環系の指標は極めて短時間に変動しうるものであるから継続的な観察が必要である。)や呼吸状態(呼吸様式、呼吸数)、尿量の測定など、比較的迅速に把握できる情報から、全身状態をいち早く観察(病態診断)し、次に、できるだけ十分な問診により、正確な主訴や現病歴等の情報を得ることが必要である。得られるべき問診の結果が不十分であると、誤つた診断、治療に極めて結び付き易いので注意を要する。全く問診のできない救急患者(例えば、意識障害の患者)では、診断に多くの補助的手段を用いる必要がある。

(二) 意識障害の患者の診察について

意識障害は、何らかの原因で、上部脳幹網様体か大脳皮質、或はその両方が障害された時に起こる。意識障害を起こす疾患は、生命にとつて緊急を要するため、適切な救急措置がとられなければならない。

意識障害の場合、鑑別診断は、詳細な問診によつて、できる限り詳しい既往歴、意識障害発症の様式、その経過、周囲環境の状況、随伴症状についての情報を得ることによつて進める。鑑別診断は、応急措置を講じながら除外診断を進めるべきである。その場合、頭蓋内疾患の除外診断から進めるのが有意義であるが、頭蓋外疾患が原因の場合の方が多いので注意を要する。

問診により、周囲の状況から明らかなものとしては、頭部外傷、薬物中毒アルコール中毒、一酸化炭素中毒、熱射病があげられる。また、発熱が先行したものとして、脳炎、髄膜炎、敗血症、脳膿瘍、熱射病があげられる。

血圧、脈拍数、不整脈の有無、呼吸の型、呼吸数、体温などのバイタルサインから、ある程度脳幹障害の部位や時に意識障害の原因を推定することが可能であるから、慎重な観察が必要である。

体温の上昇の場合の原因疾患としては、熱射病、敗血症、髄膜炎その他感染症が推定される。また、皮膚の色が赤い場合には、熱射病、脳外傷、糖尿病性昏睡等が推定される。

体温三七度前後の意識障害者はしばしば見られるが、三八度以上の場合には、中枢性発熱、感染症(脳炎、髄膜炎など)、熱射病を原因疾患として鑑別する。

神経学的に、意識障害は、<1>脳局所症状を主とするもの、<2>髄膜刺激症状(項部硬直、ケルニッヒ徴候)を主とするもの、<3>どちらをも欠くものに分けられるから、神経学的検査はこの分類で検査をする。<3>には、<a>中毒、<b>代謝性疾患(尿毒症、肝性昏睡、糖尿病性昏睡、低血糖性昏睡、内分泌疾患脱水症、熱射病)、重症感染症、全身的循環障害(急性心不全、心筋梗塞、急性末梢循環不全等)等が上げられる。

CTスキャンを利用した場合の除外診断は、CT検査により頭蓋内疾患の有無が鑑別でき、頭蓋内疾患が除外された時には、項部硬直の有無により髄膜炎や脳炎等を除外する(これで、<1>、<2>が除外できる。)。この場合、外因性の疾患が疑われ、体温が高温であれば熱中症が疑診される。

特に、頭蓋内疾患が除外された時の意識障害の診断には、血液、尿に含まれる各種物質の濃度を測定することにより、全身状態、臓器の重症度、疾患の診断が可能になるので、血液、尿検査が不可欠である。

血液検査で最も緊急を要するのは、糖濃度の測定である、低血糖性昏睡(ショック)は極めて急を要する状態であるが糖の投与で劇的な軽快をみる。

簡単、迅速にできる血液ガスや血清浸透圧の検査も重要であり、代謝性異常や呼吸不全による意識障害は、血液ガスの異常となつてまずチェックされ、また、代謝性昏睡の大部分やショック状態も血清浸透圧の上昇となつて表われる。

(三) ショック状態について

ショックの病態の本質は、急性の末梢循環不全にあり、末梢組織において必要とする血液が得られず、重篤なショック状態を放置すると、細胞自体が障害を受け、ショック状態の持続的経過とともに、種々の臓器及び臓器系にわたる機能不全、臓器障害へと発展する。四臓器以上の障害合併の場合は、死亡率七〇パーセント以上と著しく予後が悪い。

ショックの病態の的確な把握は、循環系を構成する三つの要素(循環血液量、心臓のポンプ作用、末梢血管の抵抗)のいずれが障害を受けているかの分析による。低循環血液量性ショックでは、第一義的に循環血液量が低下しその結果心拍出量の低下をきたす。

血圧低下(100ミリメートル水銀柱以下)があり、四肢末梢の還流不全(冷感)があればショック状態であり、また、四肢末梢の温感があつても尿量の低下(30ミリリットル/時以下)も伴えばプレショック状態である。血圧が低下し四肢末梢の還流が不全であり、外出血・内出血がなく、循環血流量低下がある場合は、血漿量低下によるショックと考えられる。

血圧が通常の四〇パーセント以上低下し、脈拍が触れにくくかつ頻数であり、四肢が氷のように冷たく、意識状態が悪く、無表情、無気力の場合は、ショック状態は重症である。

低循環血液量性ショックでは、乳酸加リンゲル液(ソリタ、ラクテックなど)1000~2000ミリリットルを約六〇分で投与し、血圧の反応をみる。この輸液で血圧上昇(ショック状態からの離脱)がみられたら、循環血液量の減少はそれ程多くなく、原因疾患の診断と治療を行なう。乳酸加リンゲル液の投与により血圧が上昇しない場合は、出血性ショックでなければ、血漿量の減少が病態の中心と考えられるから、循環血漿量を増加させるため、新鮮凍結血漿、アルビミン製剤等の使用が必要となる。

また、ショック状態の場合、代謝性アシドーシスの状態となるから、その補正には重炭酸ナトリウムを用いる。

循環血液量を増大させる輸液(乳酸加リンゲル液、新鮮凍結血漿、アルブミン製剤等)の使用量は、収縮期血圧100ミリグラム以上、脈拍30ミリメートル水銀柱、中心静脈圧(CVP)3~10センチメートル水柱、尿量30ミリリットル/時を目安とする。

ショック状態の場合、バイタルサインの観察はもとより、直ちに採血して動脈血ガス分析、電解質、一般検血、血液化学、検尿の緊急検査をし、同時に対処療法を施すとともに、心電図、動脈圧、CVP、尿量、体温を連続的にモニターする。代謝性アシドーシスを補正するための重炭酸ナトリウムの過剰投与は血清浸透圧上昇の危険があり、また、乳酸加リンゲル液に、糖質を含む製剤を使用すると血清浸透圧が上昇し、さらに浸透圧利尿の状態となり、隠蔽された形で脱水が進行する危険があるから、糖質を含む製剤を使用してはならない。

(四) 熱射病(日射病)について

(1) 熱射病(日射病)の初期症状

熱射病(日射病)は、体温調節機能が欠如或は低下した場合に起こり、要因としては、気温の上昇、疲労、環境順応性の欠如、身体不調、激しい運動などがあげられ、高温・多湿のもとでスポーツをした時など、運動に関連した熱負荷により症状が数時間ででる。体温が四二度以上になれば例外なく熱射病になるが、それより低い温度でも(四〇度以上ではあるが)熱射病症状が発現することがある。

比較的突然の意識障害が初期症状であるが、その前徴として、<1>高度の脱水と過度の発汗があり、その後汗が止まる、<2>頭痛、めまい、よろめきなどが起こる、<3>視力障害が起こる、<4>無口になる、<5>言語障害になる、<6>昏迷状態(わけの分からないことを言つたりする。)、<7>嘔気、腹痛、無動作、痙攣など、<8>うずくまり、傾眠、半昏睡、昏睡というように移行するが、何処から本徴候かは区別できない。

初期の主徴候として、<1>各種程度の意識障害(昏睡)が起こり、<2>過高体温(四〇度ないし四一度以上)を示し、<3>皮膚は発赤紅潮し、乾燥(発汗が停止)しているが、大量の発汗を認めることもあり、<4>顔面紅潮、<5>脈拍数や呼吸数が増加し、<6>血圧がやや高く、<7>けいれんがみられる。

意識障害以外の神経学的検査では異常は表われない。時間経過と共に症状は多彩となる。

身体的検査では、直腸温が四〇度以上に上昇しているが、病院到着前に治療が始められていれば、これより低下している。

意識障害が長時間にわたると重症であり、血圧は漸次低下し、呼吸も抑制され、瞳孔は初め縮小し、後散大となる。頻脈で、ショックとなることも稀ではない。

検査所見の異常として、動脈血ガスは乳酸の上昇によりアシドーシスを示し、白血球数増加は良くみられ、30000~50000になる場合もある。脱水の状態に伴い、血清ナトリウム、BUN(尿素窒素)、浸透圧は変化しGOT、GPT、LDHは著明に上昇する。

血液濃縮は必発で、ヘマトクリット値の上昇、高ナトリウム血症、高クロール血症、血清総蛋白の上昇をみる。重症例では、65ミリグラム/デシリットル以下の低血糖を示す例が少なくない。

(2) 移送時期・一次的応急措置

様々な状況下で熱射病は発生するので、直ちに救急施設に移送するとともに、一次的措置が必要になる。一次的応急措置としては、体温冷却措置であり、涼しい場所に運んで休ませるとか、濡れタオルをあてるなどするとともに送風を行なうことである。病院への移送時は、体温冷却措置と、酸素吸入や、水分補給の意味からもリンゲル液或は電解質を含む同種のものを点滴することが良い。

(3) 救急措置

救急措置としては、<1>できるだけ早く熱射病と認知して確認し、<2>できるだけ早く体温を物理的に冷却することが必要である。

A 体温測定、体温冷却措置

体温の測定が最も重要である。特に、体表面体温は冷却措置のためあてにならないから(体表の冷却が続くと、深部体温と皮膚温との格差が次第に大きくなる。)、直腸温など体深部温を持続的に五~一〇分おきに測定する。

体温冷却措置としては、氷水槽に患者をつけるとか、鼠径、腋窩、頚部をアイスパックにより冷却する方法(冷却速度は0.1c/m)、衣服を取り除き、微温湯で皮膚を湿らせ、冷たい乾燥した空気をファンで当てる方法、胃チューブ(二重管)で冷水を胃に潅流する方法、点滴用の輸液を予め冷蔵しておいた低温のものを用いる方法などもある。

直腸温度は通常四一度以上になるが、急速な冷却方法により三九度になつたら、震えの発生を防ぐため、急速な冷却を止めて緩徐な冷却にした方が良い。体深部温が38.8~38.5cに低下すれば冷却は一旦中止する。引き続き体温は下降し続けるのが一般である。震えが来るとまた体温が上昇するので再び冷却が必要となる。体温冷却が進むと、脱糞や全身痙攣、嘔吐が起こりうる。

B 輸液

取敢えずリンゲル液などを用いるが、脱水の程度や体液電解質のバランスが測定されたら、それを是正すべきブドウ糖液の輸液を行なう。五パーセントブドウ糖液と生理食塩水を半量ずつ混ぜたものか、乳酸加リンゲル液を末梢から十分投与する。代謝性アシドーシスの進行をみるので、補液にはペーハー7.35以下では重炭酸ナトリウム、メイロンを投与する。この間にも補正の程度を観察しなければならない。補液全体量も過剰にならないように、できれば血管確保と同時に、CVPの測定を行ない、これを正常に保つて、尿量を50ミリリットル/時位に保つように点滴速度を調整し、脱水治療と同時に心不全の発生を防止することが重要である。

C 呼吸管理

早急に酸素吸入を開始する必要があり、特に100パーセントO2の吸入が良いとされ、既にアシドーシスが進展した場合には、呼吸管理では回復し難いので重炭酸ナトリウムで補正し、ショックや脳浮腫の予防に、ソルメドロール30ミリグラム/キログラムなどのステロイド剤の静脈注射と六時間毎の250ミリグラムの追加投与が望ましい。

また、心電図のモニターで心電図の異常、不整脈の出現、血清K値の変動などを観察し、計画的な頻回の採血により、血液ガス、ペーハーの測定、血清電解質、GOT、GPT、LDH、ミオグロビンなどの測定結果を頻繁にモニターにより観察し、その後に進展する多様な病変に対応する必要がある。

(4) 救急措置後の対策

救急措置後一時的に意識が回復し、一般状態が一時的に改善しても、再び体温が上昇し、LDH、ミオグロビンなどが上昇に転ずることがある。また、多臓器障害(心、筋、脳、肝臓、腎臓などの障害及びDIC)が様々な組み合わせで進展して、多様な症状を呈する。そのため頻回に観察する必要がある。

A 心障害

死亡例では、心筋の変性が通常認められ、心筋梗塞、心筋壊死が様々な程度で認められる。また不整脈を発生することも多い。これらに対しては、心電図のモニターのもとで血清カリウム値に留意しつつ、抗不整脈剤の投与などを慎重に行ない、また血圧の低下に対し昇圧剤の投与を行なう。

そして、心不全の発生を予防するために、呼吸管理上の酸素吸入や輸液上の中心静脈圧を正常に保ち、尿量を一定に保ち、利尿剤の適時使用などに留意する。

B 脳障害

脳の過高熱障害のため、脳浮腫が発生しやすいため、瞳孔と眼底の観察が必要である。少しでも脳浮腫の発生の徴候があれば、ステロイド剤の大量投与、マンニトールの投与などを積極的に行ない、しかも輸液の過剰を避け、できるだけ全身痙攣及び痙攣の重積を予防しなければならない。

C 肝障害

高温によつて肝細胞障害は必発する。5~10パーセントブドウ糖液と高単位活性ビタミンを投与して肝庇護を行なう。劇症肝炎様に進展する時には血清アンモニア値も参考にして、透析、血漿交換を時期を失せず行なわなければならない。

D 腎障害

腎にも高熱自体による腎細胞障害のほかに、血圧低下によるショック腎(ショックにより腎障害は最も発生しやすく、血圧低下に続く時間尿量の減少(30ミリリットル/時以下)により発症し、尿中にミオグロビン、ヘモグロビンが流出する。)、脱水と低容量性ショックによる腎障害、さらに過高熱のための骨格筋破壊によりミオグロビンの腎沈着による障害が加算され、これらをできるだけ軽く経過させる必要がある。

急速にBUNの上昇、血清クレアチニン値上昇、高カリウム血症などが進展してきて、代謝性アシドーシスの進展もきたしうることから、比較的早期に腎透析に踏み切つた方が良い。数時間以上にわたり無尿に近い乏尿が続けば血液透析の早期実施を考慮すべきである。

また、腎障害進展の一因であるミオグロビンが高値を示しているときには、肝障害とも併せて早期に血漿交換をも積極的に行なつた方が良い。

E DIC

過高体温のために全身細胞の障害は広範に渡り、これらの中毒性物質の大量の体内放出により、DICの発生を促す。DICが発生すると、一層の諸臓器組織の低酸素、無酸素による細胞障害が強められ、雪達磨式の細胞障害が進展し、多臓器障害に至る。DICの傾向が認められる前から、予防的に、ヘパリン5000Uの筋肉注射或は静脈注射を行なう。熱射病で死亡する重篤者には、DICが必発すると言われている。

(5) 治療の限界

熱射病の早期診断と適切な治療により80~90パーセントの人が救命され、治癒するとされているが、実際、平均で三割が死亡している予後の悪い疾患である。最初の二四時間のGOT値は予後を示すと言われ、1000mu/ミリリットル以下では予後は一般に良く、脳、肝、腎の重大な障害は少ないと言われている。1000mu/ミリリットル以上では予後は一般に悪く臓器障害を良く合併する。

過高熱(直腸温四一度以上)或は二時間以上の昏睡、高いトランスアミラーゼ値、高ミオグロビン、高カリウム血症などが表われたら、腎透析や血漿交換の可能な施設(ICUなどのある病院)へできるだけ早く転送した方が良い。

あらゆる予測される事態に早め早めに対応して行くことが、少しでも死亡率を低めることになる。

(6) 脱水について

健康状態においては、溶媒である水とその中に存在する各種溶質との比率は一定であるが、病的状態になると、溶媒、溶質の量が変化し、体液異常が発生する。成人で、一日の水液のバランスは、摂取が、飲料水、固形食物水分、燃焼水合計2000ミリリットル~2600ミリリットルで、排泄が、尿、不感蒸泄、糞便含水量合計2000ミリリットル~2600ミリリットルである。

脱水症は、体液異常の一つの場合である。溶質は正常であるが、水分が欠乏する場合としては、水分の摂取が不十分とか、発熱(日射病)、意識障害患者などに見られ、溶質が減少し、水分も減少する場合としては、下痢、嘔吐、発汗、出血等に見られる。水欠乏型では、体温が上昇し、頻脈で、血圧の低下をみ、乏尿である。血液(一般)検査により、赤血球の鉄分濃度、ヘマトクリットを検査すると、脱水の有無が容易に判明する。

(7) 低血糖症について

低血糖症は、ブドウ糖の摂取不足、末梢における糖利用の増加、肝よりの糖放出の減少(高度肝機能障害)により発症するが、自律神経症状、中枢神経障害、意識障害の患者の場合、常に低血糖を念頭において、問診し、発症の成因を探究し、血糖値を測定することが必要である。

中枢神経系は、その正常な機能の維持に必要なエネルギーの殆どをブドウ糖の直接酸化に頼つているため、血中ブドウ糖の欠乏(低血糖)は、中枢神経障害をもたらし、生体にとつて極めて重大な危機であり、治療の遅延は死亡或は不可逆的な脳障害をもたらす。

意識障害のある場合は、50パーセントブドウ糖液を40ミリリットル~60ミリリットルを五~一〇分かけて点滴で静脈注射し、次いで、血糖値を測定しつつ5~10パーセントブドウ糖液を点滴で静脈注射し、血糖値を100~200ミリリットル/デシリットルに維持する。血糖値が正常化すれば、通常五~一〇分以内に意識が回復する。三〇分経過しても意識回復が見られない場合には、脳浮腫の発症が考えられ、ハイドロコーチゾン100ミリグラムを静脈注射する。更に三〇~六〇分経過しても意識回復が見られない場合にはデキサメタゾン10ミリグラムを静脈注射し、20パーセントマンニトール300~500ミリリットルを三〇分以上かけて点滴する。

重症の低血糖症では、一度血糖が上昇し症状が改善しても、すぐ低血糖症状を再発することがあるから、予防的に、5~10パーセントのグルコース液500ミリリットルを点滴で静脈注射し、経過を慎重に観察し、血糖値の測定をする。また、低血糖は心筋代謝にも障害を与えるため心電図によるチェックが必要となる。

4  鎮痛剤ホリゾンは、手術時の痛みを鎮静する目的の麻酔薬であり、一般には短時間で覚醒する。また、ホリゾン三Aを使用した学園の校医による縫合手術後も、亡泰丈は激しく暴れたので、病室に戻つて、ベットに縛られたのであつた。

亡泰丈の体動が、殆どなくなつたのは、三一日午前一時頃であつた。

二  争点1(診察・検査における被告の懈怠)について

1  証拠によれば次の事実が認められる。

被告は、亡泰丈を甲野医院に受け入れる際(三〇日午後三時四一分頃)、亡泰丈がマラソン中転倒したこと、意識状態が不穏であることは知つていた。

被告は、三〇日午後七時頃、亡泰丈の病室に来て、亡泰丈を二、三分診て、付き添いの学園の教師に容態の説明をした際に、診療録や入院時看護記録、看護記録を見て、争点1、(一)、(2)の事実を知り、もしくは容易に知りえたはずであるのに、CT検査、単純X線検査の結果とマラソン中転倒して頭部を打ち、意識障害に陥つたものと考えたことから、単純な脳震盪と診断した。被告は、意識障害の原因疾患として、CT検査の結果から、頭蓋内疾患を除外したが、それ以上に、項部硬直の有無により髄膜刺激症状を主とするものを除外し、付き添つて来た学園の校医や教師に、意識障害の発生に関係のありそうな事情の有無を尋ねて、外因性の疾患を疑い、体温が高温であることから熱射病を疑診するということはなかつた。

そのため、被告は、頭蓋内疾患が外された時の意識障害の診断に不可欠の血液、尿検査をしなかつただけでなく、池間看護婦に対し、亡泰丈のバイタルサインなど全身状態を、頻繁に、かつ、慎重に経過観察をするように指示することもしなかつた。

2  前記争いのない事実及び証拠上明らかな事実、前記一及び右認定事実によれば、被告は、亡泰丈を受け入れ、救急入院させる際に、亡泰丈の意識状態が不穏であることを知つていたのであるから、意識状態不穏の救急患者を受け入れる救急病院の医師として、当然に、亡泰丈の全身状態を十分に観察し、CT検査、頭部胸部単純X線検査による頭蓋内疾患や外科的検査と同時に、血液検査、尿検査をして、体液の成分バランスなど内科的な検討から、各臓器障害の有無程度など病態の把握に努め、また、亡泰丈に付き添つて来た学園の校医や教師から、亡泰丈が意識障害を起こした状況や、発見後の亡泰丈の容態、その後の処置を詳しく聞くべきであつたと考えられる。そして、意識状態や血圧、体温(直腸温)、呼吸状態、時間的尿量などを頻繁に経過観察すべきであつた。

そして、CT検査により頭蓋内疾患を除外できたのであるから、更に代謝性疾患を疑うべきであつたこと、意識状態の不穏の程度はかなり重く、その状態は長時間継続したこと(意識状態は、三〇日を越えると次第に悪化をたどり、痛覚反応も消失し体動もしなくなつた。)、意識障害が発生した経緯(自動車レースのアスファルトのコースを、マラソンにやや高温の条件のもとで約一時間、約一一・五キロメートルを走つたあとでの転倒)から激しい発汗と体温の上昇、そして脱水状態が予想されたこと、発見時の亡泰丈の顔面は紅潮していたこと、転倒時の傷害部位・程度(無防備のまま前のめりに倒れたような傷害状況)から転倒前に意識障害のあつたことが推測されること、体温は、三〇日午後六時には三九度近くあり、座薬投与後の六時三〇分においては四〇度になつていること、冷却措置や解熱剤投与後も高体温(冷却中の体表温度で三八度以上)が継続したこと、三一日から血圧の低下がみられたこと(三一日午前六時に血圧測定が不能となるまで計測がなされなかつたが、熱射病であつたことやセミニート(強制循環不全改善剤)投与後も一時回復の兆しを見せかけたがまたすぐ血圧測定不能となつたこと、そして右意識状態の悪化傾向からすると三一日の早い時間から血圧低下の状態が徐々に生じていたと推測される。)、そして三一日午前三時頃から尿が殆ど出なくなつたこと、三一日午前六時には著しい低血糖状態に陥つていたことなど、以上の諸点に鑑みると、被告(及びその履行補助者である甲野医院のスタッフ)が、救急医療においてなすべき前記一、3、(一)、(二)記載のような措置を行なえば、三〇日午後六時三〇分頃の時点で熱射病を疑診することが可能であつたし、少なくとも代謝性疾患を疑うべきであつたと考えられ、遅くても三一日午前六時までには、熱射病を疑診することが十分可能であつたと考えられる。

3  そして、亡泰丈は、甲野医院に入院した当時熱射病に罹患していたこと及び約一時間もの本件マラソンによる強度の発汗、発熱、転倒状況等に照らせば、学園の校医が疑診したように亡泰丈は脱水状態であつたと推測される。

それゆえ、被告は、亡泰丈の意識障害が続いていたのであるから、原因疾患の一つとして脱水をも予測し、血液検査や尿検査をすべきであり、また、被告が、右校医に亡泰丈の発見後の状態、処置について尋ねれば、右校医が亡泰丈を脱水状態にあると考えて治療していたことを知りえたのであるから、被告にはこれらの点においても注意義務に違反した過失があるものといわざるを得ない。

4  確かに、亡泰丈の体温は、甲野医院のCT室で上昇するまで、応急処置を施した学園の校医らに高温とは認識されなかつたなど、四〇度を超える過高熱が先行したとか、高温多湿の気象条件であつたという熱射病の特長を明らかに満たすものではない面もある。

しかし、右に検討した、亡泰丈の発見後の顔面紅潮状態、意識障害が発生するに至つた経緯、体表温度の四〇度への上昇とその後の冷却措置や解熱剤の投与によつても三八度台を維持した高熱状態、意識障害の程度及び継続、血圧の低下、乏尿、低血糖状態から、右のとおり、熱射病を疑診することができたと考えられる。

しかるに、被告は、亡泰丈の症状が単純な脳震盪によるものであると診断し綿密な診察も血液、尿検査も実施することなく、また、夜勤の池間看護婦に対して、意識状態の不穏な救急患者に対してなすべき基本的な全身状態の観察を指示することもなく、重篤なショック状態になつた後の三一日午前七時半ないし八時頃に至つて初めて血液検査を実施し、同日午前九時過ぎになつてようやくCVP測定、心電図モニターの設置をしたことは前記のとおりである。

5  そして、亡泰丈の意識障害につき被告が根拠を置いた脳震盪や鎮痛剤ホリゾンの使用は、脳震盪やホリゾン使用による通常の意識障害の状態からすれば意識障害の継続時間が長いうえ、亡泰丈に激しい体動があつたことに照らし、また、亡泰丈の高熱の原因については顔面の外傷と縫合手術中の激しい体動によるものであるとの被告の推測は、亡泰丈の体温が四〇度という過高熱であつたことや、高熱が長時間継続したことに照らせば、十分な根拠とは認め難く、亡泰丈の症状が単純に脳震盪によるものであると即断するには疑念が存するといわなければならない。

6  以上によれば、被告は、亡泰丈の症状につき、なお代謝性疾患をも疑つたうえ、転倒時のより詳細な事情聴取、前記一、3、(一)、(二)の諸検査の実施及びバイタルサイン等についての綿密な経過観察等により熱射病及び脱水を疑診すべきであつたのに、容易に脳震盪によるものと即断し、右諸検査や経過観察等を実施しなかつた点において、亡泰丈の診察につき過失があつたものといわざるを得ない。

7  なお、被告は、亡泰丈に付き添つてきた校医の、意識障害の原因が脳内の病変にあるとの診断を信頼し、これに基づき通常なすべき診療行為をなしたので過失はない旨主張するが、亡泰丈が転倒されているのが発見された後、学園の校医は、本件マラソン会場の救急室で、リンゲルを点滴し、酸素吸入し、血圧、脈拍を計り、心電図モニターや脈拍で循環動態を観察しつつ、意識障害を顔面打撲のための脳内疾患によるものと危ぐして救急車で甲野医院に搬送してきたのであり、発見から甲野医院到着までの約一時間の間に、応急措置としてなすべきことはなしたが、学園の校医にとつてそれ以上の詳しい診断をなしうる状況であつたとは認め難いから、救急指定医として救急患者を受け入れ、各種検査や処置が十全に可能であつた被告が、右校医らが一応、脳内疾患の疑いをもつていたとしても、脳内疾患であるとの右一応の懸念を信頼することによつて自ら亡泰丈の意識障害の不穏の原因を究明すべき義務を免れることはできないのは当然である。

8  なお、被告に亡泰丈に対する診断上の過失が存在したとしても、結果的には熱射病に対する治療行為が尽くされたとの被告の主張については、それが十分でなかつたことは、後記のとおりである。

三  争点2(治療行為の懈怠)について

1  マンニトールの不適切な投与について

(一) 被告は、亡泰丈の症状につき単純な脳震盪であるとの診断を前提としたうえで、脳浮腫の発生を防ぐ目的で、亡泰丈に対し、マンニトール250ミリリットルを、三〇日午後九時に一瓶、三一日午前三時に一瓶投与したが、亡泰丈が脱水によるショック状態に陥つたため、同日午前九時に中止した。

ところで、マンニトールは、強い利尿作用があり、脱水状態の患者には、慎重でなければならず、テスト量を投与し、尿量及び全身状態を観察しながら慎重に投与しなければならない。

しかしながら、被告は、もともと、亡泰丈が脱水状態であることを知つていたなら、マンニトールは脱水に禁忌であるとして使用しなかつたはずであつたのに、亡泰丈に対するマンニトール投与にあたり、漫然とこれを行なつてしまつた。

(二) ところで、被告が、三〇日午後六時三〇分頃の時点で、亡泰丈の症状につき熱射病を疑診することは可能であつたし、また、亡泰丈が脱水症状にあつたことを予測し、かつ、これを知り得たことは前記二、2、3に述べたとおりである。

そうとすれば、被告には、熱射病に罹患し脱水状態にある亡泰丈に対し、利尿作用の強いマンニトールを投与する場合には、テスト量を投与し、かつ尿量及び全身状態を観察しながら慎重にすべきであつたのに、これを漫然と投与した点において過失があつたものといわざるをえない。

(三) 被告は、三一日早暁まで熱射病を疑診することは困難であつたと主張するが、三〇日午後六時三〇分頃において、亡泰丈の症状につき熱射病を疑診することは可能であつたし、とりわけ、亡泰丈が脱水状態であつたことは、本件マラソンによる激しい発汗と高熱や意識の不穏状態から、十分疑診することが可能であつたことは右にみたとおりであり、現に、学園の校医は脱水を疑つて、リンゲル液を点滴投与していることは、前記一、1に認定したとおりである。

また、頭部外傷の患者に対するマンニトールの投与が一般的であることは認められるが、本件においては、亡泰丈に脱水が疑われたのであるから、頭部外傷の患者に対するマンニトールの投与が一般的であることは、前記過失の認定を左右するものではない。

(四) 前記争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実、前記一、1に認定の事実、並びに右(一)に認定の事実によれば、脱水状態が改善されない(電解質の点滴もなされていたが、三〇日午後七時三〇分頃から下痢が始まつていた。)亡泰丈に対し、強制利尿剤のマンニトール250ミリリットルを、同日午後九時に一瓶投与したことにより、一二時頃まで、頻回の下痢が続き多量の水用便を排出し、かつ、三一日午前三時までに1700シーシーの利尿があり、以降は三一日午前三時に更にマンニトール一瓶を投与したにもかかわらず殆ど利尿のないまま午前六時の深刻なショック状態に至つていることが明らかであり、右事実からすると、三〇日午後九時にマンニトール一瓶を投与したことが、脱水状態を進展させ右の深刻なショック状態を引き起こさせることになつたものと推認される。

2  その他の薬剤の不適切な投与について

(一) 証拠によれば、次の事実が認められる。

被告は、亡泰丈に対し、セフメタゾンを、三〇日入院時に一A(2グラム)、同日午後九時に一A、三一日午前三時に一A、同日午前九時に一Aの合計八グラムを投与し、スルピリンを、三〇日午後七時に二Aを筋肉注射により、三一日午前〇時に二Aを静脈注射によりそれぞれ投与した。しかして、セフメタゾン及びスルピリンは、いずれも副作用としてショック症状を起こすことがあるとされている。

(二) しかしながら、亡泰丈がショック状態に陥つたのは、亡泰丈が熱射病に罹患して、脱水症と低血糖を併発したためであることは、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)、5のとおりであるから、仮にセフメタゾンやスルピリンの投与につき、被告に過失が認められたとしても、亡泰丈の死亡との間には因果関係がないものといわざるをえない。

3  治療行為の懈怠について

(一) (1)及び(3)の過失の主張について

亡泰丈は、三〇日午後九時頃において、体動が激しく、痛覚反応もなく、意識障害が持続していたことは、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)、3のとおりであるから、池間看護婦は亡泰丈の病状の推移を厳重に監視し、バイタルサインを慎重に観察すべき義務があつたというべきであるところ、原告らが(1)において主張するとおり、亡泰丈の全身状態の池間看護婦による観察が不十分であつたことは、前記一、1に認定したとおりである。

また、ショック状態の患者に対する治療としては、前記一、3、(三)に認定したとおりであるが、亡泰丈の三一日午前六時四〇分頃以降のショック状態に対し、被告(及び山田医師等甲野医院の関係者)が直ちに適切な検査及び治療行為をしなかつたことは、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)、3の事実及び一、1、2に認定の事実から明らかである。

そして、証拠によれば、次の事実が認められる。

池間看護婦の不適切な看護が、医療従事者としての義務に違反することはもとよりであるが、被告が亡泰丈の病態を単純な脳震盪であると把握して、池間看護婦に対し、意識障害患者として慎重な観察看護をなすように適切な指示をしなかつた(却つて、単純な脳震盪であるとして慎重な観察看護は不必要である旨指示していたとみられる。)ことが大きな原因であつたものと考えられる。

以上によれば、被告には三〇日午後九時以降の亡泰丈に対する全身状態の観察不十分の過失(右過失は、直接には、池間看護婦の過失であるが、被告の履行補助者というべきであるから被告の過失と同視される。)が認められるとともに、三一日午前六時四〇分頃以降の亡泰丈のショック状態に対する対処が不適切であつた点においても過失があつたというべきである。

(二) (2)の過失の主張について

亡泰丈が極度の低血糖状態となつた三一日午前六時以降、同日午前六時、午前八時、午前九時三〇分の三回にわたつて50パーセントブドウ糖が静脈注射及び点滴により同人に投与されたことは、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)、3のとおりであるから、被告に亡泰丈の低血糖に対する診療義務違反があつたとまでは断定し難い。

したがつて、原告らの(2)の過失の主張は理由がない。

四  争点3(因果関係)について

1  甲野医院において、亡泰丈に対し、三〇日午後六時頃から解熱剤(座薬、注射)の投与、及び氷嚢での両腋窩、鼠径部の冷却、電解質液マンニトールの投与がなされた経過は、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)のとおりである。

そして、前記一に認定のとおり、熱射病に対する治療は、先ず低体温療法であり、次いで電解質液の投与、呼吸管理である。

2  ところで、前記第二、一(争いのない事実及び証拠上明らかに認められる事実)及び前記一に認定の事実によれば、(一)亡泰丈の症状は、甲野医院に搬入(入院)した当時、熱射病と脱水のために、意識状態が不穏であつたが、発見後間もなく応急措置(リンゲル液投与、酸素吸入)のためもあつて、循環動態、呼吸、血圧も正常域にあり、体表は過高熱を窺わせなかつた、(二)甲野医院において、三〇日午後六時三〇分頃体表温度四〇度となり、解熱剤の注射と氷嚢による両腋窩、鼠径部の冷却が続けられたことにより、体表温度は三八度余に抑制された、(三)同日午後七時三〇分頃から午後一二時頃まで、頻回の下痢が続き多量の水用便を排出したが、マンニトールの強制利尿作用により、三一日午前三時までに1700シーシーの排尿があり、脱水状態が深刻化した、(四)熱射病は進行し、意識状態も悪化し、代謝性アシドーシスが進展し、次第に血圧が低下し、同日午前六時頃には、低血糖を伴う、重篤なショック状態(末梢循環不全)となつた、(五)そして、急性循環不全改善剤が続けて点滴されたが、血圧は極めて低く、安定せず、CVPも著しく低く、末梢循環不全が更に進行し、その結果、腎、肝、胆道等の多臓器不全の状態に進行し、同日午前一〇時五〇分には、心停止となり、心臓マッサージ、昇圧剤の投与がなされたが、回復せず、亡泰丈は、同日午前一一時二七分、死亡したことが推認される。

3  前記一、3、(四)、(3)に認定の熱射病に対する救急措置として体温測定(亡泰丈の直腸温度がどれ程であつたかは、甲野医院で測定せず、冷却中の体表温度しか計つていないため、結局不明である。)、体温冷却措置、輸液管理、呼吸、全身管理を行なう一方、血液検査、尿検査等により、肝障害、腎障害、心障害の程度を頻繁に観察していれば、三一日午前六時の重篤なショック状態(末梢循環不全)に至る前に、亡泰丈の脱水状態、血圧の低下、代謝性アシドーシスの発症が確認でき、これに対し、前記一、3に認定したような治療方法をとることにより、亡泰丈が救命された可能性は高いと考えられる。

4  また、三一日午前六時の重篤なショック状態においても、直ちに、前記一、3に認定の輸液管理、呼吸管理をし、腎透析、血漿交換などをできるだけ早期に行ない、または、腎透析、血漿交換のできる病院に転送すれば、亡泰丈が救命された可能性は高かつたものと考えられる。

5  被告は、亡泰丈が熱射病発症後直ちに低体温療法が施されなかつたことから甲野医院に搬入されてきた時点で、既に熱射病が不可逆的状態にまで進行していたと主張するけれども、前記一、1に認定の熱射病発症後の経過、対策に照らせば、前記のとおり、亡泰丈は発症後間もなく発見され、低体温措置としては不十分であるが、直ちに救護室(日陰)に運ばれ、リンゲル液の点滴投与、酸素吸入を受けながら、約一時間程で甲野医院に搬入されたのであるから、熱射病発症後の「移送時期・一次的応急措置」において、一応、熱射病による症状悪化を抑制する措置がなされたものといえるし、甲野医院に搬入されてきた時点での亡泰丈の症状は熱射病の初期の主徴候を示し、少なくとも三〇日午後九時頃までは、意識障害は進展していたけれども、血圧の低下傾向もみられず(三〇日午後六時三〇分に血圧触診で九八であつたが、午後九時では一一六であつた。)、乏尿も見られず、頻脈傾向にあつたが特に呼吸状態に異常はなく熱射病により多臓器の障害が深刻な段階に進んでいるとみられるべき症状は未だ表われていない(なお、発症後二四時間以内のGOT値が1000mU/ミリリットル以下では一般に予後は良いとされるが、亡泰丈は深刻なショック状態となつた後の三一日午前七時三〇分頃のGOT値が901mU/ミリリットルであつた。)から、遅くとも三〇日午後九時頃において、前記のような熱射病に対する救急措置、救急措置後の対策を講ずれば、亡泰丈が救命された可能性は高かつたものと考えられる。

被告は、結果的に熱射病に対する治療義務を尽くした旨主張するが、被告主張にかかる輸液、解熱剤の投与、氷嚢による体温冷却措置では熱射病に対する治療としては不十分であることは、前記一、3、(四)、(3)、(4)に認定の熱射病に対してとられるべき措置や対策に照らして明らかである。

6  よつて、前記二及び三に認定の被告の過失と亡泰丈の死亡との間には因果関係があり、前記一に認定の熱射病の救急措置、救急措置後の対策を講じても亡泰丈が救命された可能性はなかつた(よつて、被告の治療行為に過失があつても亡泰丈の死とは因果関係がない。)との被告の主張は、これを採用することはできない。

五  争点4(過失相殺)について

1  亡泰丈が、本件マラソンの前に、昼食の弁当を三割程度しか食べなかつたことが認められる〔証人湯本邦雄〕けれども、体調不全で食欲がなかつたとか、一五キロメートルのマラソンを棄権すべき程に体調が不調であつたと認めるに足りる証拠はない。

2  また、昼食の弁当を三割程度しか食べなかつたことが、熱射病の発症や予後に影響を与えた可能性はないわけではないが、亡泰丈は、約一時間、約一一・五キロメートル走つているのであり、また、身長約一七六センチメートル、体重七〇キログラムで、ハンドボールをしていた一六歳の健康な男子であり、朝食は普通に取つていたし、明らかな風邪の症状もなかつたことが窺われるからそのような亡泰丈が、本件マラソンにより熱射病に罹患したからといつて、健康管理上の過失として過失相殺すべき理由とはならないものと考えられる。

3  よつて、被告の過失相殺の主張は是認できない。

六  争点5(損害)について

1  亡泰丈の逸失利益〔請求額金七〇五一万八九五一円〕

(一) 亡泰丈が、医師である父原告喜一にならい、医師になる希望を持ち、全国有数の進学校である学園理数科に進学して、勉学に励み、学園内で優秀な成績を修め、努力次第では国立大学の医学部合格も可能な成績であつたこと、亡泰丈は心身共に健康であつたこと、家庭環境は亡泰丈が医学部に進学し、医師になるのに恵まれた環境にあつたことが認められる。

(二) しかしながら、亡泰丈は、死亡当時、まだ高校一年生であり、本人の心身及び環境の変化など不確定要素も多く、将来医師となる蓋然性が極めて高いとまではいえず、将来医師となる可能性については、慰謝料において斟酌されるべきものと考えられる。

(三) そして、右(一)に認定の事実によれば、亡泰丈が、将来四年制大学に進学し、相応の職業に就く蓋然性は極めて高いといえるから、亡泰丈の逸失利益の算定においては、四年制大学の卒業者を基礎に計算すべきである。

そうすると、亡泰丈が、四年制大学を卒業するのは、平成六年三月と考えられるところ、平成四年度賃金センサスにおける四年制大学卒業者男子の全年齢平均年収額は金六五六万二六〇〇円であり、六七歳まで就労可能とし、生活費控除を五〇パーセントとし、ライプニッツ係数を用いて亡泰丈の逸失利益の死亡時の現価を計算すると、次のとおり、金四三五二万〇八六六円となる。

6,562,600×(1-0.5)×(13.2633)=43,520,866

2  葬式費用〔請求額金一五〇万円(原告らにつき各金七五万円)〕

葬式費用として、金一五〇万円は相当額である。

3  慰謝料〔請求額金二〇〇〇万円(原告らにつき各金一〇〇〇万円)〕

右1の事情及び亡泰丈は原告らの長男であつて、健やかに成長し、原告喜一の開設する診療所の後継者として期待されていたことに鑑みると、本人の無念及び原告らの悲しみと落胆は計り知れないものと考えられる。

そこで、本件の亡泰丈の死亡に対する慰謝料としては、金二六〇〇万円とするのが相当である。

4  ところで、原告らは、災害共済給付金として、日本体育・学校保健センターから、金一四〇〇万円の支払を受けていることは原告らの自認するところである。

よつて、右金額を損害額から控除すると、金五七〇二万〇八六六円となる。

5  相続

原告らは、亡泰丈の父母であるから亡泰丈の被告に対する債務不履行に基づく損害賠償請求権を、各二分の一宛の金二八五一万〇四三三円宛相続により取得した。

6  弁護士費用〔請求額金八〇〇万円(原告らにつき各金四〇〇万円)〕

弁論の全趣旨によれば、原告らは、弁護士である原告ら訴訟代理人に対し、本件訴訟の提起及び追行を委任し、相当額の報酬を支払うことを約したことが認められる。

そして、本件事案の困難性、認容額、審理期間、内容等を考慮すると、被告が負担すべき弁護士費用としては、原告らにつき各金二〇〇万円とするのが相当である。

七  結論

以上によれば、原告らの本訴請求は、債務不履行に基づく損害賠償として、被告に対し、各金三〇五一万〇四三三円及びこれに対する訴状送達による催告の日の翌日であることが記録上明らかな平成元年一月二〇日から支払い済みに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるのでこれを認容し、その余をいずれも失当として棄却し、訴訟費用の負担については民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言については同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 新城雅夫 裁判官 園田秀樹 裁判官 高橋光雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例